2009年8月2日日曜日

イランのアザデガン油田の件

イランについて追いかけていると決して逃れられないのが石油の話。




==イラン・南アザデガン油田、中国が権益70%獲得へ==


今日こういう記事が出ました。「イラン・南アザデガン油田、中国が権益70%獲得へ

イランの核開発問題を受け、日本企業が自ら権益を縮小したイラン南西部の大規模油田「南アザデガン油田」について、中国石油天然ガス集団(CNPC)が権益の70%を獲得する見通しになった。イラン石油省傘下のシャナ通信などが報じた。日本が開発主導権を手放した後、資金不足のイランは中国に接近していた。

日本側は04年、国際石油開発(現・国際石油開発帝石)が同油田の権益の75%を獲得。政府の意向も受け、自主開発油田としての期待を背負っていた。その後、米国とイランの関係が悪化したことなどに配慮し、開発に着手しないまま権益を10%に縮小。残りはイラン石油公社側が肩代わりすることになった。

中国はイランで活発に資源外交を展開しており、大規模投資に慎重な欧米や日本を尻目に、大規模ガス田の開発に参入するなどしている。



にわか知識ですが、日本にとって結構重要なことだと思うので、経緯を少し書いておきます。もっと詳しい方いらっしゃったら是非ご教授ください。




==背景(なぜこうなった。。。)==


前田高行さんが2006年にアザデガン油田開発で試される日本の資源外交という7ページに渡る素晴らしい記事を書いておられるので、それを下記抜粋引用させて頂きます。


2000年初めに、当時日本最大の石油開発企業であったアラビア石油がサウジアラビア・カフジ油田の利権を失いました。エネルギーの安定確保が悲願である日本政府は、それまでアラビア石油の利権延長交渉を支援してきたものの、サウジアラビア政府の見返り要求が過大すぎて交渉は決裂、結局カフジ油田の利権は消滅。このため経済産業省はアラビア石油にかわる大型油田を求め、そこに現れたのがイランのアザデガン油田開発。

日本政府はアザデガン油田の開発を国際石油開発(INPEX)に担当させることとし、イランとの交渉にあたらせました。(INPEXは当時政府が全株式を有する国策会社であり、経済産業省の指揮下にありました。現在は帝国石油と事業統合し、ホールディング会社が東証一部上場)アザデガン油田は可採埋蔵量260億バレルと言われるほどの巨大油田で、政府としてはカフジ油田にかわる中東の新たな石油開発プロジェクトとして何としても日本のものにしたかったのです。

結果、アザデガン油田の開発は、2000年11月のハタミ大統領来日時に、日本が優先交渉権を獲得。見返りとして日本側は30億ドルの原油購入の前払い金を支払っています。

3年半に及ぶINPEX(日本側)とNICO(イラン側)の交渉の結果、2004年2月に開発契約に調印。調印時の日本とイランの共同声明によれば、INPEX とNICO がそれぞれ75%と25%の参加権益を持つことに。契約プロジェクトの投資額は20億ドルと見込まれました。日本は原油輸入量の15%程度をイランに依存しており、アザデガン油田開発によってイランとの絆を強め、同時に日量26万バレルの石油を確保できることは、日本にとってまさに一石二鳥でした。

ところが2004年の開発契約調印後、アザデガン油田の開発は進みませんでした。理由は大きく2つ。
1)油田はイラクとの国境地帯にあるため、イラン・イラク戦争の地雷が埋設されており、地雷除去が必要だったため。
2)油田開発に対してアメリカ政府が日本政府を牽制したため。

特に後者が大きかったらしい。この記事でも書いた通り、アメリカの対イラン感情はすこぶる悪い。歴史的にアメリカはシャー(パーレビー国王)を支援していたが1979年にホメイニ革命が起こり、イラン・イスラム共和国樹立。シャーの亡命を受け入れたアメリカに対し、テヘランのアメリカ大使館占拠事件が発生し、アメリカ激怒。以降テロ問題や経済制裁問題、核開発問題などが山積しイランとアメリカの不協和音は続き、アフマディネジャド大統領も反米で有名です。

アメリカは1995年の大統領令で米企業によるイランとの取引を禁止し、1996年には、イラン向け石油・ガス開発投資を行った外国企業に対し制裁を課す「対イラン・リビア制裁法(ILSA)」を成立させ、対イラン経済制裁を実施。2001年8月、同法は2006年8月まで5年間延長されました。そして2006年9月30日、ILSAを継承する内容の「イラン自由支援法案(IFSA)」が成立しています。

ILSA は国内法であり、外国企業は規制の対象外なはずですが、アメリカは同法に抵触するとみなした外国企業に対しても様々な圧力をかけてきました。そして対米関係を悪化させたくない日本は、それに従ってきたというのが現状です。そして、そういった事情の直撃を受けたのがアザデガン油田の開発だったというわけです。

言うまでもないことですが、日本にとってエネルギー問題は大変重要です。昨年私は南アフリカのヨハネスブルクに行ったのですが、エネルギー不足で毎日停電していました。(という様子と、六ヶ所村に行った時のれぽをブログ書きました。古いですが。)そして外務省の「イラン」のページによると、2007年時点でイランは日本への原油輸入量49.9万B/D(12.1%)で、UAE(29.3%)、サウジアラビア(24.7%)に次ぐ第三位の原油供給国です。こういったことも含めて、かの国の情勢について、もっと日本人は関心をもってもいいと思います。

ちなみに最新の「BP エネルギー統計レポート2009 年版解説シリーズ:石油+天然ガス篇」によると、イランは世界第2位の産油国です。
-石油埋蔵量 3,239 億バレル(世界第2位)
-石油生産量 633 万B/D(世界第4位)

それをみすみす世界が見過ごすはずはない。特に人口の多い中国とインドはエネルギー確保に非常に力を入れている。で、冒頭の話に戻るわけです。一言で言うならば、日本がアメリカに遠慮した結果、イランのアザデガン油田を中国に持ってかれた。ということです。


==中国==



米国に次いで世界第2位の石油輸入国である中国は、カザフスタンの国営石油企業に資本参加し、さらにナイジェリアの油田を買収しし、サウジアラビアと石油協力に関する幅広い協定を締結するなど、エネルギー安定確保のための積極的な首脳外交を展開。イランについても、2004年10月、イランのザンガネ石油相(当時)が北京を訪問し、エネルギー協力に関する広範な覚書を締結しており、その中には年間1千万トンのLNG を25年間購入する協定があり、契約総額は1千億ドルと言われているそうです。また国営石油会社SINOPEC がヤダバラン油田を開発し、予想生産量30万B/D の半量(15万B/D)を中国が引き取ることも約束され、同油田の開発契約が締結されたとのこと。


なぜ日本にできないことを中国ができるか。理由はいくつかあるようですが、中国は日本と違って国連安全保障理事会の常任理事国でありアメリカと対等であると考えている。また、自国がアジアの中心であるとする強烈な「中華思想」の持ち主であり、アメリカを「成り上がり者」とみなし、その風下に立つことはプライドが許さないのでILSAなど意に介さない。また、米国側も中国との対決は避けている。

前田さんは、「中国がイランに対する国連制裁を主張する米国に反対することにより、イランの中国に対する印象はむしろ良くなっているとすら考えられる。中国にとってイランとのエネルギー協力は、失うものは何もない。中国はますますイランの懐深くに入り込んで行く気配である。」と書いておられます。そうして今日の記事の通り、アザデガン油田の70%の利権を得たと。

●ちなみに今回の大統領選挙の結果について、中国の反応はこうです:

●今日もう一つ面白い記事が出ていたのでご紹介。この記事からはオフトピックですが:

●本日、前田さんが「中東と石油」というサイトを開設されたようで、情報満載です。

●2001年なので少し古いのですが、福山大学の島敏夫さんが書かれた「イラン石油・ガス産業の現状と課題」という論文が非常に詳しくお勧めです。「本文PDF」をクリックすれば読めます。

●すばらしいことに、2005年7月まで22年4ヶ月外務省に勤務され、一時期は中東第二課長をされていたという宮原信孝さんがTwitterにて本件について語っておられます。こういうのは貴重ですね!

アザデガンの話は、私が担当の中東第二課長になる前、2000年ごろ、つまりイランの大統領が、改革派のハタミさんだったころに、日本が開発することになったところから始まります。その当時から、二人の米国議員の名前(忘れました)を冠した米国法により、イランを財政的に支援することになる投資をした企業は制裁を受ける、ということになっていましたが、そのころ日本は、米国に対し「イランの改革派を支援することがイランが変わっていって、国際社会に入っていくことになることだから、そのためにもアザデガンの開発は必要」と説得し、同時にまだまだ必要となる日の丸石油の確保に動くという立場だったと思います。しかし、2001年になると状況が変わった。第一に米国がブッシュ政権になった。第二にイラン国内の政治。もともとクリントン政権下でも、米国は日本によるアザデガン油田開発とその理由づけを明示的に認めていたわけではありませんでした。ブッシュ政権になるとそれがはっきりした。開発が米国法に違反するかは、議会が決めることだが、イランの国内を改革派・保守過激派に分けるのは意味がなく、彼らは結局のところは一体。たとえ、改革派が強くなっても、核開発は止められない。だから、油田開発はイランに利益を与え、核開発の資する。というものです。イランの改革派からは、米国が無理解だから、保守過激派(保守と過激派を区別すべきかな?)が、勢いを増しイランの改革が進まない、自分たちの力が衰えると言ってくる。そのような状況下、とりあえず、アザデガン油田の開発調査を進めると、えらい広大な地域で、どこを掘ったら出るか大規模な資源調査をしなければならないし、調査をする場所は、元地雷原で、まず地雷の処理から始めなければならない。それは誰がやるのか?当然それはイラン側でしょう。日本は、石油開発に来ているわけで。いやいや、イランは、開発のために日本に一定の場所を提供しているわけで、そこでどう調査する、つまり地雷の除去が調査に必要なら調査側がやるべきものでしょう。なんて会話が交わされたかどうかは知りませんが、それに近い状況が生まれ、なかなか調査・開発も進まない。イランは、ハタミが退場し、保守強硬派(こっちがしっくりくる?)のアフマドネジャディが大統領になって、欧米との対立が鮮明となる。日本だって、核開発をイランが密かにやっていたとしたら黙っちゃいられない。結局、3年前、アザデガンに対する日本の権益は10%になってしまった今回の件は、中国に出し抜かれたと言うより、なるべくしてなったと思った方が良いと思います。


8/3追記
●はてなブックマークで finalvent さんが2004年2月に書かれたsvnseedsさんのブログ記事「続・イランのアザデガン油田」へのリンクを教えてくださいました。是非ご覧ください。


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